海を知らないベニザケ それがヒメマス 大海原で育ったベニザケが母なる川に戻るのと同じく ヒメマスは美しい十和田湖で育ち、3年後に和井内貞行のふ化場の地に還ってくる ピンク色の身は刺身でも焼いても美味 低温と美しい水を好む幻の美魚
魚の住まない十和田湖 915年 日本の歴史上最大規模の噴火を起こした十和田湖は魚が住まない湖でした。 科学的な解釈を知らない当時の人々は、十和田湖に祭られている青龍権現が、魚を忌み嫌うから、魚がいないと信じていました。
十和田湖の開発に生涯をかけた和井内貞行
1950年に映画化された、『われ幻の魚を見たり』と言えば、ご存知の方もいるかと思います。
魚が住まない十和田湖に養魚事業を定着させ、その後、十和田湖の観光開発に自らの人生をかけた和井内貞行。
真珠の御木本幸吉とハマチの野綱和三郎と並ぶ、『近代日本の養殖家三偉人』の一人です。
1858年 秋田鹿角の武家に生まれた和井内貞行は16歳で学校の先生となり、23歳で小坂鉱山に転職し、十和田湖畔に住むことになりました。 2千人もの人々が働く鉱山には、様々な物資があふれていましたが、ひとつだけないものがありました。それが 『新鮮な魚』 です。
22年間もの歳月と精魂を費やした 養魚事業
『十和田湖で養魚が成功すれば、皆が新鮮な魚を食べられるし、豊かにもなれる』
そう信じた貞行は1884年(26歳の時)、自費でコイの稚魚を6百匹放流しました。
しかし、『青龍権現』伝説を信じる土地の人々には、悪口を言われたそうです。
5年後、コイは十和田湖で大きく育ち、悪口を言っていた人々もコイを獲り、喜んで食べました。
しかし、乱獲の為か、直ぐにコイは獲れなくなり、その後も毎年、コイの稚魚(12年間で3万匹)を放しましたが、すべて失敗に終わりました。
1896年(38歳)、貞行は小坂鉱山をやめ、十和田湖の養魚事業に全てをかけます。
各地の孵化場を見学し、長男を東京の水産講習所に送るなどして、十和田湖にマスの孵化場を自費で築き、カワマス、日光マスなどを養魚に取り組みました。
しかし、何年かかっても、それらの魚は大きく育つことなく、貞行は資産を失っただけなく、多額の借金を抱え、とても苦しい生活だったそうです。
ヒメマスに最後の賭け
貞行44歳、最後の勝負に出ました。家具調度を売り払って、ヒメマスの卵を支笏湖から購入し、ふ化させ、稚魚を十和田湖に放すことにしました。
ヒメマスは3年たつと、放した場所に大きくなって戻ってくると言われていました。
5万匹を最初に放流したのは1903年春。
2年半後の1905年秋、来る日も来る日も、貞行は十和田湖の湖面を見つめていたそうです。ある日、無風にも関わらず、十和田湖の湖面がさざなみで揺れました。
ヒメマスが大挙して浅瀬に産卵の為に押し寄せたのです。
養魚を志して22年、和井内貞行の血の吐くような努力が実った瞬間と伝えられます。
和井内貞行の志を引き継ぐ 十和田湖増殖漁業協同組合
1950年、漁業制度改革により、和井内家所有の漁業権は消滅し、1951年、十和田湖増殖漁業協同組合が新たに漁業権を取得します。 ふ化事業も引き継いだ漁業協同組合は、2002年に近代的な設備を持つ新十和田湖ふ化場を完成させました。
熱意と技術と志がヒメマスを守り育てる
ヒメマスは毎年9月〜10月、産卵の為に稚魚時代を過ごしたふ化場に、自ら戻ってきます。十和田湖から段々で繋がる魚道をヒメマスは自分の力で遡ってきます。 その後、ふ化場で採卵・受精後、職員の皆さんが手厚く、そして、厳しく面倒を見ることで、ヒメマスは孵化し、稚魚になり、初夏に放流されます。 2年半後の秋、大きく育ったヒメマスはまた、ふ化場に戻ってくるわけです。
「十和田湖水質改善推進協議会」の会長でもある、小林義美組合長
昔は透明度が20メートルもあった十和田湖ですが、近年の汚染で10メートルを切るまでに悪化したことから、
2001年、漁協と青森県十和田市と秋田県小坂町等が会員となり十和田湖の水質改善や環境保全等を目的に協議会を設立しました。
設立以来の会長が組合長の小林義美さんです。私が訪ねた時にも、熱く十和田湖への想いを語ってくれました。残念ながら、
ヒメマスの漁獲高も全盛期の年間74トンと比べると、大幅に落ち込んでいます。
昨年は7トン、今年は5トンしか水揚げがないほど、ヒメマスは幻化しています
『湖を美しく保ち、食物連鎖を維持して、ヒメマスも守ることができる』 小林組合長談
協議会ではEM菌活用(EM菌を各湖畔数地区から放流)による湖水浄化事業、水質検査、研修会等を実施し、水質改善等に努めています。
ワカサギの獲れる代表的な湖 | 化学的酸素要求量(COD(mg/L)) |
---|---|
十和田湖 | 1.4 |
網走湖 | 6.8 |
諏訪湖 | 5.7 |
琵琶湖 | 3.1 |
霞ヶ浦 | 7.5 |
河口湖 | 3.8 |
山中湖 | 2.6 |
平成17年度(網走湖のみ13年〜18年度平均値)
※化学的酸素要求量(COD):海水や湖沼水質の有機物による汚濁状況を測る代表的な指標。有機物が多く水質が悪化した水ほどCODは高くなる。
環境庁の定めた環境基準COD値:1.0mg/L以下であり、十和田湖の数値は比較的簡易な浄水操作によって飲用に供し得るレベルといえる。
ヒメマスは海を知らない紅鮭 十和田湖は小さな地球
紅鮭は河で生まれ、大海原で成長し、3年後に河に戻ってきます。
ヒメマスと紅鮭は血統的には同じです。海を知らないで育ち、死んでいくのが、ヒメマスです。
大きな海と河川と紅鮭の関係=十和田湖とふ化場の魚道とヒメマス なわけです。
自然の営みを邪魔しない人間の関与がとても大切です。
ヒメマスは極めて美味 特に刺身が秀逸
海で育つサケ・マス類は一般的に寄生虫の危険性があるので、生食の場合は一度冷凍しますが、 ヒメマスは外部との接触がないので、寄生虫がいないので、冷凍しないでも生食できます。
ピンクの肉は独特の食感と甘みが魅力。それもそのはず、血は紅鮭と同じですから。
十和田湖での養魚事業、その後の観光事業の発展に人生を費やした和井内貞行。
その志を受け継ぐ人々が十和田湖を守っています。ちなみに、十和田湖ではブラックバスは生息できないようです。低水温と餌の関係のようです。
閉鎖された食物連鎖 十和田湖の自然はとてもデリケートです。
絶景が広がる十和田湖は是非とも訪れたい場所ですが、『自然環境を痛めることは絶対にしない!』と心に誓わせる、和井内貞行の圧巻の人生です。
凶作の時には近隣の人々にヒメマスを漁獲させ、それを買い取って救済したり、十和田湖の絵葉書を作ったり、十和田湖の国立公園候補地編入を内務省に申請したり、
和井内貞行の活動が社会貢献的であったことを記録は物語ります。
明治の偉人 本当に素晴らしいです。『現代の我々は小さい!』まさにそうです。
十和田湖の公魚(ワカサギ)もお勧めです!
十和田湖で確認される12種の魚類の中で、最も大きな勢力を誇るのが『公魚(ワカサギ)』です。
一時期は、ヒメマスを滅ぼす勢いで繁殖したワカサギですが、昨今ではヒメマスを自主禁漁するなど、組合の努力により、安定した漁獲量となりました。
ブランドとしては認知されていない十和田湖のワカサギですが、獲れたての美味な子持ちワカサギは、他の産地に見劣りしません。
このワカサギは塩焼きが一押しです。頭も内蔵も骨も気にならないと思います。
もちろん、定番の天ぷらやフライも美味ですが、ちょいと塩をきかせて、さっとあぶると、止められなくなります。
テフロンのフライパンで両面を塩焼きにするだけでもOKです。
全部が子持ちではないですが、子持ちは得に美味です。