国産うなぎ通販|浜名湖食品うなぎ蒲焼き・鰻缶詰
鰻屋でもウナギ加工工場でもない
唯一無二のうなぎを作る
浜名湖食品
うなぎ養殖発祥の地
浜名湖のうなぎがあり
日本一のうなぎ消費地
浜松の客があり
昭和9年創業の浜名湖食品の
うなぎの今がある
江戸焼きでも、地焼きでもない
硬めの江戸焼きに、地焼きの
濃厚さを加えたような蒲焼は
オートメーションとは程遠い、
古い機具と熟練の職人技で作られる
1900年 服部倉次郎が
うなぎ養殖を始めた町
浜松市舞阪町
天竜川の伏流水と三方ヶ原台地の涵養水を源とする良質で豊富な地下水と、年間平均15度前後の気候を兼ね揃えた舞阪の地で、日本のウナギ養殖のノウハウは確立された。
120年近く前、服部氏がこの地に目をつけた頃は、後背地から餌となる養蚕サナギが簡単に手に入った上に、浜名湖と天竜川に遡上する稚魚(15センチほどのクロコウナギ)も手短に調達できたから、まさに、浜名湖周辺はうなぎ養殖を完結できる土地であった。
さらに、東海道の交通の要所である浜松に近く、物流面でも関東と関西の中間点にあったことから、浜名湖のうなぎ養殖は大いに発展した。
その後、村松啓次郎がシロコウナギ(シラスウナギ)での養殖に取り組み、1971年に温室養殖技術を考案し、日本のうなぎ養殖は飛躍的に発展することになる。
もちろん、今でも、浜名湖周辺は日本有数の上質なうなぎ産地である。
1934年 浜名湖うなぎの流通拡大のため
浜名湖食品が設立される
昭和9年(1934年)、浜名湖の養鰻業者たちの出資で、浜名湖食品の前身である濱名食料品會社が資本金10万円で設立された。工場で蒲焼を缶詰にすることで、販路を北海道や外地(旧満州国ほか)まで広げる計画は、度々起きた生産過剰による相場暴落のリスクヘッジにもなっていた。
移築や増改築を繰り返し、
85年経った工場(こうば)
何人もの職人技を施し、
活のうなぎは蒲焼となり
職人が包丁で切り、
手で缶に詰められ、
加熱加圧して缶詰となる
浜名湖のうなぎがあり
日本一のうなぎ消費地
浜松の客があり
昭和9年創業の浜名湖食品の
うなぎの今がある
硬めの江戸焼きに、地焼きの
濃厚さを加えたような蒲焼は
オートメーションとは程遠い、
古い機具と熟練の職人技で作られる
うなぎ養殖を始めた町
浜松市舞阪町
天竜川の伏流水と三方ヶ原台地の涵養水を源とする良質で豊富な地下水と、年間平均15度前後の気候を兼ね揃えた舞阪の地で、日本のウナギ養殖のノウハウは確立された。
120年近く前、服部氏がこの地に目をつけた頃は、後背地から餌となる養蚕サナギが簡単に手に入った上に、浜名湖と天竜川に遡上する稚魚(15センチほどのクロコウナギ)も手短に調達できたから、まさに、浜名湖周辺はうなぎ養殖を完結できる土地であった。
さらに、東海道の交通の要所である浜松に近く、物流面でも関東と関西の中間点にあったことから、浜名湖のうなぎ養殖は大いに発展した。
その後、村松啓次郎がシロコウナギ(シラスウナギ)での養殖に取り組み、1971年に温室養殖技術を考案し、日本のうなぎ養殖は飛躍的に発展することになる。
もちろん、今でも、浜名湖周辺は日本有数の上質なうなぎ産地である。
1934年 浜名湖うなぎの流通拡大のため
浜名湖食品が設立される
昭和9年(1934年)、浜名湖の養鰻業者たちの出資で、浜名湖食品の前身である濱名食料品會社が資本金10万円で設立された。工場で蒲焼を缶詰にすることで、販路を北海道や外地(旧満州国ほか)まで広げる計画は、度々起きた生産過剰による相場暴落のリスクヘッジにもなっていた。
85年経った工場(こうば)
活のうなぎは蒲焼となり
職人が包丁で切り、
手で缶に詰められ、
加熱加圧して缶詰となる
一言も発せず黙々とうなぎを見る眼光は鋭い
浜名湖養殖漁業協同組合から
上質なうなぎを仕入れる
浜名湖食品は隣の敷地にある漁協から、活のうなぎを仕入れて加工する。
うなぎ養殖業者から漁協に運ばれた活うなぎは漁協で選別され、
清らかな水でストレスをほぐし、泥を吐き、良い状態に整えられる。
最低限の機械と様々な職人技が
美味しいうなぎを作る
移築や増改築を積み重ねた工場は、昭和の重厚な機械たちと、様々な職人の経験と勘と技能のコラボレーションで最適化される。浜名湖のうなぎ生産量は大産地の鹿児島・愛知・宮崎の数分の一。養殖業者も小規模なため、小ロットのうなぎを最高に仕上げることで差別化をしてきた。
選別を丁寧に細かくすることで、一度に加工するうなぎの数を少なくし、それによって、うなぎ一尾一尾と職人が向き合い、気温や湿度を考慮し、手で機械を微調整し続ける。焼きが甘いうなぎは再度ラインに戻され、一番良い焼き具合に調整される。
その為、浜名湖食品の蒲焼は冷凍解凍しても、身がしっかりしていて、盛り上がっている。これは焼きすぎ、蒸しすぎではない証だ。
うなぎのサイズ差がある加工場では、大きいうなぎに工程を合わせるので、小さいうなぎは加熱しすぎ、蒸しすぎ傾向になりがちだが、この昔ながらの工場では、そう言うことが起きない。自動化とは程遠い職人の技能がうまいうなぎを作る。
年間で20万尾前後を加工する工場。うなぎを捌くまな板を10年間は使うから、4人で200万尾として、何と50万尾ものうなぎを成仏させることになる。職人の技能は地道な研鑽で伝承されるもの。まさに伝承の技だ。
浜名湖食品の蒲焼は蒸しは最低限で
しっかりした食感!
純金の価格の半分以上にまで
高騰したシラスウナギ
純金の小売価格がキロ500万円として、養殖ウナギの稚魚(シラスウナギ)の価格がキロ300万円ともなる時代。1キロ300万円、5,000匹として、1匹600円もするシラスウナギを大きく育て、生産性を高くするしか、日本の養鰻業は成り立たない。
一方で小売価格を抑えたい量販店は、うなぎを小さくしたいと考えるから、明らかに矛盾している。小さいうなぎがうまいか?と言えば、そんなことはない。
活魚で400グラム前後の
大きなうなぎがうまい!
私は大きく育ったうなぎをお客様にお薦めする。何故なら、シラスウナギ原価比率が小さい、大きく育ったうなぎに値打ちがあるから。
大きく育ったうなぎは強いうなぎ。餌の食いがよく、養鰻池の熾烈な競争に勝ってきたうなぎは、実に味が濃厚。程よい歯ごたえ、ふっくらとして、唇や上顎にまとわりつく、こってりした味わい。うなぎ好きにはたまらない存在感!ご馳走感を堪能できる。
うなぎは地味豊かで栄養学的にも優れている。特にEPAとDHAの宝庫だから、土用の丑に食べるだけではなく、月に一度や二度とは食べたいものだ。
太平洋戦争中、
潜水艦に積まれたと言われる
伝説のうなぎ蒲焼缶詰
浜名湖食品のうなぎ蒲焼缶詰の歴史は長い。会社が設立された昭和9年は、世界中が戦争に向かっていた頃。軍人の戦意高揚目的で様々な食料生産が行われた。
特に缶詰は輸送が簡単で日持ちもするので、全国各地で缶詰生産が行われた。
中でも、うなぎ蒲焼缶詰はご馳走中のご馳走。実際、今でも十分にうまい。
中身は浜名湖うなぎの蒲焼、タレは醤油・みりん・砂糖のみ。
甘さ控えめで、食品添加物のトロトロ感とも無縁。昭和のキリッとした味だ!
今でも、ハワイの日系人の間では正月に欠かせないとされる、浜名湖食品のうなぎの缶詰。生産量が限られる手作りの逸品の生産個数は僅かに年間5万缶程度。
今時のフルオープンエンドの缶詰ではないから、缶切りが必要。理由は、軍の厳しい環境でも缶が壊れない為とか・・・うなぎの蒲焼缶詰はハードボイルドなご馳走だ!
非常食としても、うなぎの小丼用としても、栄養補給的食材としても、とっておきの酒肴としても、この唯一無二の缶詰は値打ち有りだ。
(株)食文化 代表 萩原章史
お届け日の指定が可能です
【スピード出荷対象】 昭和9年創業 浜名湖食品『極大うなぎ蒲焼 (浜名湖産うなぎ使用)』 1尾 約240g 和紙袋入 ※冷凍
4,980円(税込)
- 販売中 在庫数 9
- プロの食材お取り寄せ店
お届け日の指定が可能です
【スピード出荷対象】 昭和9年創業 浜名湖食品『極大うなぎ蒲焼 (浜名湖産うなぎ使用)』2尾(1尾約240g) ※冷凍
9,800円(税込)
- 販売中 在庫数 20
- プロの食材お取り寄せ店
お届け日の指定が可能です
昭和9年創業 浜名湖食品『うなぎ蒲焼セット』6人前相当(長焼き×2尾、串焼き×2食、タレ・山椒×6袋)化粧箱 ※冷凍
12,800円(税込)
- 販売中 在庫数 16
- プロの食材お取り寄せ店