「木村幸司×長谷川稔」で
さらに進化する
極上の宮崎マンゴー
「時の雫」
国内外で評価された木村幸司さんのマンゴー
時の雫は、2009年に生産農家の木村幸司さんによって誕生しました。
自社選果基準・自社ブランドを設けており、宮崎県でもトップクラスの味と品質を誇り、海外からの評価も高く、多くのトップシェフやパティシエから称賛を受けてきました。
その糖度は、高いもので21度を超す超熟のマンゴーです。宮崎県内農家の平均で太陽のタマゴの基準を満たす収穫は2割に満たないと言われていますが、木村さんが育てると7割が太陽のタマゴレベルです。
元建設コンサルタント敏腕営業マン。
宮崎県川南町を人生の第二の開拓地と定め、農業へ参入するも・・
当時、化石燃料に頼らない、廃棄物系バイオマスを活用した、農業用ハウス加温システムの営業を全国に展開していました。
農業分野において、新システム導入には数多くのハードルが立ちはだかり、営業は失敗に終わります。『農家がやらないなら俺が実現する!』と53歳でサラリーマン人生に見切りをつけ、2008年3月に宮崎に妻と二人で移住。戦後大規模国営開拓事業が成功した三大開拓地としてその名を知らしめた川南町で土地を入手。2010年12月、サビだらけの中古ハウスを直してマンゴー栽培が始まりました。就農2年目から約7割が『太陽のタマゴ』クラスに。教えられたことに忠実に手間とコストを惜しまず栽培した結果でした。
しかし、木村さんは2020年、大困難に見舞われることとなります。世界進出を視野に販路を拡大している最中、コロナ禍のあおりを受け、倒産に追いやられたのです。
予約3年待ちのレストラン「長谷川稔」の
長谷川シェフが木村さんのマンゴー栽培に加わる
価値があるからこそ後世に残したい
長谷川稔シェフがマンゴー作りに
関わる理由
長谷川シェフと木村さんのマンゴーと出会ったは2018年。宮崎の行きつけの鮨屋で食事をした際に極上のマンゴーがある噂を聞き、さっそく園地を訪れれます。畑で食べたその味に感動した長谷川シェフは、即座にレストランのメニューに加える事を決めます。
2021年になり、木村さんは、このコロナによる海外取引の中止、更に、大病を患い体力的にもキツい状況にありました。でも、「孫のように可愛がってきたからこそ無くしたくない」という木村さんのマンゴーに対する強い思いに賛同し、長谷川シェフが手を貸すことになります。
木村さんが、人生をかけて尽くしてきた『時の雫マンゴー』、その価値を誰よりも知ってる身だからこそ後世に残したい。そうして、KAORU FARMの名で事業継承を受け再始動することとなりました。
時の雫ってどんな味わい?
時の雫は、口に入れた瞬間に感じるジューシーさと芳醇な香り、熱帯フルーツらしい強い甘み、繊維感のまったく無い、ねっとりとした食感が魅力です。
驚くほど濃厚な甘みですが、エグミが少なく、すっきりと透き通った味わいです。マンゴーが苦手だと思っている方もきっと満足されると思います。品種は宮崎の完熟マンゴーとしても有名なアーウィン種、アップルマンゴーです。
長谷川稔シェフが木村さんと目指す
スイーツのようなマンゴーとは
そのままで十分においしい時の雫マンゴーですが、長谷川シェフが手を加えることで至極のスイーツのようなマンゴーを目指しています。
「甘美で妖艶」それが彼らの目指すマンゴーです。マンゴーの怪しい香りと濃厚な甘さは、人を惑わす魅力があります。
果物としてのマンゴーだけでなく、食材としてのマンゴーの価値も見出していきます。塩だけでもおいしい最高の肉がソースとを合わさる事で至高の1品となるように、マンゴーも他の食材と掛け合わせる事で更なる高みがあると考えます。
長谷川シェフから皆様へ
現地に入った我々の若いスタッフも木村さんの元でビシバシと鍛えられながら、毎日一生懸命、寝る間も惜しんでマンゴーと真剣に向き合っています。僕らが入り販売面のフォローもできる体制ができたので、木村さんも、今まで以上に畑に集中できる状況が作れています。
これまで通り、時の雫マンゴーを通して末永くお付き合いいただけると、木村さんも僕も嬉しいです。