冬眠前の淡路島近海の鱧(ハモ)は、餌をしこたま食べて、黄金色に輝く黄金鱧となる。
特に古事記に登場する淤能碁呂(おのごろ)島と伝えられる沼島周辺は鱧漁の本場!
まさに日本の生まれた地で獲れる鱧は別格だ!
鱧という漢字、実は日本独自のもの。
中国語では鱧の文字はライギョを示し、ハモは海鰻と書く。
古来、日本では鱧を『はむ』と読み、天平5年(733年)完成とされる出雲国風土記に、「すなはち、年魚(あゆ)、鮭、麻須、伊具比(ウグイ)、なよし(ボラの)小さいもの、鱧どうもの類・・・」と記述があるほど、古くから日本人は鱧を食してきた。
それも、魚偏に豊と書く漢字を当てたのは、強いものの象徴である蛇(ハミ)から転じ、獰猛で美味で人々を豊かにする魚としての高い価値の証なのだと思う。
特に京都まで活きたまま運べるほど生命力が強い鱧は貴重とされ、かつ、非常に美味なことから、関西では鱧食文化が根付いた。
ここ15年ほどで、関東を含め、全国的に鱧食は広がってきたが、まだまだ、関西の比ではない。それほど、関西での鱧の地位は高い。
生け締めされた
淡路島海域の黄金鱧
黄金色に
光っている
私が訪ねたのは、昭和33年創業の大阪の黒門市場の魚屋、黒門丸一。
主人の由井政伸は今年56歳。かれこれ30年以上も鱧し活け締めして、骨切りをし続けてきた男だ。
鱧の旬は6月から10月。時化や市場休みを考慮しても、年に鱧を仕入れるのは100日を下らない。毎回20尾以上は鱧を捌くから、由井が命を頂いた鱧は6万尾以上になる計算だ。1尾の骨切りで600回は包丁を入れるから、鱧の骨切り累計回数は何と36万回となる。それだけに由井は鱧を知り尽くしている。
圧倒的な経験から、由井の活締めから骨切りまでの仕事は、猛烈に速く、そして無駄が無く、実に美しい。さらに、鱧の調理方法と鱧の大きさにより、包丁を入れる間隔と角度を微妙に調整し、鱧が最も美味しく仕上がる加減が染み付いている。
専門の鱧鋏(はもばさみ)で、獰猛な鱧の首根っこを挟み、間髪入れずに、首の付け根と尾の先に包丁を入れて締めます。氷水の中で身を冷やすと共に、血抜きをします。この状態でも、鱧は噛み、胴体は動き続けます。強靭な生命力とはこのことです。
鱧がおとなしくなったら、針金を背骨の神経に通し、鱧を完璧に絶命させます。この神経処理により、死後硬直を防ぎ、程よい食感を長く保つことができます。
腹を割り、内臓を取り去り、背びれを取り、丁寧に皮のぬめりを取り去り、いよいよ、骨切りができる状態になります。このぬめり取り、鱧を美味しく食べる為には重要です。ぬめりが残ると、繊細な鱧の味に臭みが残ります。
黒門丸一
由井政伸の
骨切りは
正確で速い
活きた黄金鱧の命を頂くしゃぶしゃぶは、まさに洗練されたパワーフードであり、酒との相性も抜群だ。
出汁に鱧の頭と骨を入れパワーアップし、そこに骨切りした鱧を潜らせ、白く縮んだら、そのまま口に入れるだけ。もちろん、スダチの絞り汁や塩をつけてもうまいが、そのままでも十分にいける。
行儀が悪いようでも、自分の鱧を箸で持ったままシャブシャブして、そのまま口に放り込み、酒をのみ、また、鱧を箸で持ち、シャブシャブ、即、口に!
その繰り返しをするだけで、幸せな気分になれるから凄い。
さらに、締めの雑炊は、鱧の皮や骨から溢れ出たコラーゲンの海で溺れたご飯のようになり、これが滅法美味だ。
お酒好きには
鱧しゃぶのほうが
お薦めかも
淡路島の南4.6kmにある沼島(ぬじま)は、古事記で最初に二神が降り立ち、国生みを始めた淤能碁呂島(おのごろじま)だと伝えられている。
日本を生む場所となった島の周辺は鱧漁の本場。日本一のブランド産地だ。
その沼島は鱧を鍋で食べた最初の地ではないかと言われている。つまり、究極の漁師料理が鱧鍋で、甘めの味付けの鱧すきが、甘い淡路島の玉葱がタッグを組むから、自然で優しい甘さとうまさが、老若男女を問わず、多くの人々を虜にするわけだ。
鱧しゃぶと違い、鱧すきの場合は他の鍋具材も色々と入る。玉葱、椎茸、豆腐あたりは定番で、締めは雑炊もあるけど、固ゆでの素麺もよく締めとして食べられる。
確かに、鱧すきはうまいが、甘めで色々な具材と一緒に、おかずとして食べる感じになるから、酒呑みには鱧しゃぶの方がおすすめかもしれない。
いずれにしても、沼島海域の鱧は非常に美味だ。偶然かもしれないが、伊邪那岐命と伊邪那美命が天降った淤能碁呂島(おのごろじま)と伝えられる沼島の周辺で盛んに獲れる魚だから、鱧は立派な漢字を頂戴したのかもしれない。
淡路島の鱧すき。大きな鱧を使うのが特徴だ
鱧と玉葱がポイントで甘めの味付け。大人も子供も好きな味だ