大阪府の郷土食 お取り寄せグルメ「おおさか物産展」

大阪府の郷土食
大阪に伝わる食文化・特産品を紹介します
「食いだおれの町」と言われるように、豊かな食文化が魅力の大阪府。温暖な気候で中央には肥沃な大阪平野が広がり、大阪湾(瀬戸内海)、北・東・南の県境は山地に囲まれた地形で、海の幸、山の幸に恵まれる。16世紀末、豊臣秀吉が整備・開発を進めたことで、政治の拠点が江戸に移ってからも経済・商業の一大拠点として栄え、「天下の台所」と呼ばれるまでに発展。陸海交通が発達した大阪には、全国から年貢米や特産品が集まり、選りすぐりの食材を使った料理が楽しまれてきた。食材を大切にし、無駄を出さない「始末の精神」と食への情熱により多くのメニューが生み出され、実際に大阪発祥の料理は数多く、屋台から派生したグルメも数えきれない。地元民はもちろん、訪れた観光客にも親しまれる大阪府の郷土食、特産品をまとめて紹介する。
大阪府の郷土食、特産品

たこ焼き
大阪府民がこよなく愛する郷土食の代表格。大正から昭和にかけて流行った「ちょぼ焼き」や「ラジオ焼き」を参考に、1935(昭和10)年に大阪府西成区「会津屋」の創業者・遠藤留吉氏が考案した。ラジオ焼きの具は味噌風味のコンニャクと牛スジだが、会津屋では明石焼きのように生地に鶏卵、具にタコを入れ現在のたこ焼きが誕生。創業当時は生地が醤油味で、ソースをかけて食べるものではなく、戦後にとんかつソースや中濃ソースが登場してから、ソースをかけるスタイルが確立された。大阪では各家庭に1台はたこ焼き器があるほど身近で、ご飯のおかずとして食べる人もいる。

串カツ
串カツは、肉や野菜、魚介など様々な具材を串に刺し、小麦粉や卵を溶いた衣を付けて揚げた大阪府民のソウルフード。揚げたてをソースが入った容器に浸してから食べる。ソースは客同士で共有するため「2度づけ禁止」の鉄則。
串カツが誕生したのは1929年。多くの日雇い労働者がいた通天閣がある新世界で、安価で素早く食べられ、おなかが膨れるよう薄い牛肉に厚い衣を付けたメニューが考案され、人気が人気を呼んで広まっていった。戦後においては、食糧の供給が安定しない状況で、食中毒の心配がない串カツを出す店が増えた。「安い・早い・うまい」が三拍子揃った串カツは立ち食いの店も多いが、近年では松茸などの高級食材を使ったものや、デートに使えるようなおしゃれな店もある。

いか焼き
大阪の郷土食「いか焼き」は、イカの姿焼きではなく、大阪の食文化である“粉もん”のひとつ。1950(昭和25)年に大阪・桃谷で誕生した。小麦粉の生地にイカの切り身を入れて焼き、甘辛いソースをハケで塗る。鉄板で押しつけて焼くため、小麦粉に含まれるグルテンの作用によってコシの強い、モチモチとした食感に仕上がる。当初はせんべい職人の賄いとして、せんべいを焼く際に使用する鉄板を用いて焼いて食されていたが、次第に屋台で販売されるようになり、昭和30年代後半に人気が高まり全国に広まった。

水なす浅漬け
「水なす浅漬け」は、大阪南部・泉州地域を代表するブランド野菜「泉州水なす」を半日だけ糠(ぬか)に漬けた郷土食。泉州水なすは、他の品種に比べてぷっくりと丸みを帯びた形で、皮が薄くて果肉が柔らかい。その名の通り、ぎゅっと絞ると水が滴り落ちるほど水分が多く、ほんのりと甘味のある味わいが特徴。アクが少ないため生のまま食べることもできるが、糠床に短期間だけ漬けて食べられることが多い。かつお節やすりゴマなどを添えても美味しい。
注目の大阪食材
ギネス世界記録認定された高糖度桃
「包近の桃」
2015年にギネス世界記録に認定された「平均糖度22.2度の桃」の生産者 松本隆弘氏が作る「包近の桃」。明治時代から桃の栽培が始まったとされる大阪府岸和田市包近(かねちか)は、大阪一の桃産地だが全国的な知名度はそれほど高くない。 その地で「新しい風を吹き込みたい」と松本氏がチャレンジしたのが「高糖度桃」の栽培。十数年をかけて栽培技術を確立し、2012年には国内の分析機関で糖度23度と計測されるまでなり、2015年に晴れて世界一の高糖度桃として認められた。
※2015年にギネス世界記録と認められたのは、松本隆弘氏が2014年に作った桃品種「まさひめ」が分析機関で「糖度22.2度」と測定されたもの。